(↑最近久しぶりに友達とおしゃれなお店に飲みに行ったときの写真🥰)
起立性調節障害の親である私。
中1の初めから発症し、現在2年生終わりで約2年近くになる。
この前の秋冬ぐらいから、上向き初めて最近はほぼ毎日登校している。
学校に行けてない親と学校に通う子供の親。
その立場を両方経験してみると、こう見る学校に対して見る角度が全く変わったというか、去年は何でわかってくれないんだろう?
とか
もっとこうしてくれたらいいのに !
っていう風に
何だろうね
お願いする 気持ちだったりとか、
こうやって欲しい理想像が強すぎたのかな。
ただ今学校に通ってみると学校に行くとやっぱり学校は対応してくれている。
健康な子には義務教育という恩恵をうけられる話を聞く。
だから今の学校は行かないと
何にもしてくれないよりも、何もできないところなんだなって改めて思う。
今の学校の教員免許を持ってる人たちは普通学級の先生。
不登校だったりとか体調が悪い子だったりって言う子に対しての対応をするようなそういう教育をされてきた教師じゃないんだよね。
だから今になって思うと普通の子と同じものを求めてはいけないのかな っていうのが印象がある。
だから支援級の先生のような先生達が対応してくれるのがいいのかなと。
そういった 先生たちの方が本格的にそういった様々な事情を抱えた子たちを見てきているので、まだ対応してもらいやすいのかなという印象とか
そう感じた学校に行けないって もう 体調じゃなくてなにかの理由で学校に 心理的なものでいけないっていうのもある意味メンタルから来てる部分なんだろうね。
病名をつけないだけで、何かやっぱりそういうところに集団になじめないっていうのは、何か気持ち面であるかと。
ひょっとしたことでいじめられたことが 何かトラウマになっているのか?
とか悪気がなくても…
娘の学校の話を聞いて、いじめ?それ いじめじゃないの? っていうような話もあったりする。でも本人たちはいたって気がついてない。悪びれてない。
自分がないのか?人が嫌だというから自分も嫌だ。
という子もいるらしい。
娘はそういう人たちに関わらないようにしてるけど、だからそういう 当事者になってみるといじめられてるわけじゃないけれども行きたくないっていう状況って…
いわゆる人間トラブルっていうのかな?
そういったものもあるのかななんて思ったりもする。
話を聞いてても陰険なんだよね。
うちの娘も小学校で仲間にされたり、とかまあ すったもんだったから、警戒をしていた子だったけど…
人は変わらないねと話している。
同じクラスなのに一言も口をきかない。
ちょっと話がそれたけど、そういった第3の組織である学校に行きにくい子の場所、教育機関が必要なのかな?なんて思う。